この日、キャピトル東急ホテルが閉館した。

 98年の来日まではマイケルジャクソンは必ずこのホテルに宿泊。マイケルの東京での住所はファンの間ではキャピ10階で通っていた。公には87年、88年、92年、96年、98年に宿泊。87年は9月の頭から10月下旬まで住んでいたと言ってもいいだろう。
 当然、私もこのホテルでの思い出が良くも悪くも一杯ある。ここではマイケルだけでなく、クインシージョーンズやレイチャールズ、ボンジョビのジョンやマイケルママのキャサリン、姉のラトーヤ等に会うなど今から考えると華々しいが当時は欲がゼロだったので残念ながら写真もサインも何もない。今なら理解できるが当時はマイケルのマネージャー(フランクディレオ)に覚えて貰おうとまとわりつく子たちの事も全然分からなかった。マイケル本人にしか興味がなく、信用できそうだと思ったのはいつも一緒にいるビルブレイ位だったので手紙は本人に渡せない時はビル以外に渡すことも考えられなかった。
 自分で言うのもヘンな事だがそういう何か浮世離れした私が当時のキャピに来ているような世渡り上手な賢いファンの子達と相容れるところはなく、その為にキャピでは、そこに居るだけで凄まじく苦痛で、辛い思い出も多い。決していたくていたわけではないのだった。
 それが今でもまだまだ生々しく、閉館に別れを惜しみに行くというお仲間には入らなかったが、この20年の歳月を思わずにはいられない。
 この20年驚くほどあっと言う間だった。ホテルの出待ち、帰り待ちで何度もここでマイケルに会えた。10階でマイケルに面会させて貰えるような夢のような出来事もあった。バックステージに招待して貰えるなんてめまいが起きそうな話を伝えられたのもここのロビーだった。コンサート会場へ向かう度にホテルのロビーを歩くマイケルをみんなで整列して待ったりできたこともあった。
が、一方では普通に生きていれば、起こるわけがない、考えられないような屈辱的な日々でもあり、ホテルのスタッフやセキュリティから虫けら扱いにされたり、宿泊している時でさえ罵倒されたりすることもあった。
 またそれに加え、コア(この表現が正しいのか判らないが)ファンの中に本当に怖い人がいて、私はその彼女に目をつけられていたのでキャピロビーは針のむしろだった。
キャピというのは私にとっては、イイコトとイヤナコトが同居していた私のマイケルジャクソンの歴史の1時代、その頃の象徴なんだろうと思う。