デンジャラスツアーin 1992

前回のおはなしの続き>
話したい事がいっぱいあった。聞きたいことも。5年前の事は覚えているんだろうか?
でもここに入る前に「時間が無いのでサインもダメ、talkもダメだから」とスタッフに強く言われていた。
いや、どちらにしてももう満たされている、言葉なんて要らないと思った。
なので、私はMichaelがせっかく喋っているのに何とも言えなかった。あの時なぜ喋らなかったんだろうと後から何度思ったことか。

私たちはいよいよマイケルのところに行くように指示が出たので前に進み、私はただ「I'm glad to see you,again. 」とのみ伝えた。マイケルも同じように応えてくれた。
そうして隣に並んで写真を何枚か撮ったと思う。マイケルは真ん中から私たち二人の肩に手を廻してくれた。暖かい手だった。このまま永遠にこうしていられるようなヘンな気持ちになった。
フィルムまで途中で代えて撮ったこの幻の写真、どんなだったんだろう。自分ではかなりいい笑顔でグリーンのシャツのマイケルと赤いセーターの私でいい感じだったに違いないとか勝手に思っている。(まあ友達は友達でそう思ってるかな?私たちいい感じ)
この後、私たちがマイケル側のカメラで撮影されたこの写真を見ることは無かった。

そうして終わりっていう合図があったんだと思う。長くて短い会見でした。あの時のマイケルの手の暖かさ、優しい眼差しは一生忘れる事ができない。

私はプレゼントとお手紙をまた渡し、友人もプレゼントを渡した。そうして幸せな気持ちでドームの会場へ入っていった。ところが、ここでちょっとしたことが。私は人から借りていた双眼鏡を最初に通された部屋に置いてきてしまったのだった。焦った。マイケルんとこに置いてきたものは戻らないというのが鉄則。(逆流は出来ないという意味でだが)
だが私は人のものだから何とかして取り戻さないと、と逆流してさっき出てきた所に戻ろうとした。先ほどいた日本人スタッフがいたので、さっきの気分で声を掛けると、さっきとは打って変わって絵に描いたような手のひら返しとというか、激しく邪険にされてしまった。(は、世の中ってこうだよな)
もうダメかーと思っているとメアリーさんを発見。ああ女神、Mary、Mary、本当にすみません、双眼鏡を置き忘れたんです〜。(なんて手のかかるヤツだ、私)

メアリーさんはやっぱり優しく、何とかするから待ってといい、しばらくして奇跡の逆流を許してくれた。
私たちはウソのようにまたバックステージに戻り、あの部屋に向かう、と、その途中、トツゼン周囲の空気が変わった。
ワサワサとしてしばらくすると「ハイ、本人出ます、全員引っ込んで」とか誰か日本人スタッフが言っている。私たちもトツゼンスタッフがいる部屋に押し込まれ、ちょっと待てと言われた。
え、本人=マイケルジャクソンだよね。なになに、日本人スタッフはマイケルが廊下を歩くのも見ちゃいけないとかなの(驚)
で、そこにいた日本人スタッフ談:「君たちどこかの凄いお嬢様か何かなの?」「さっきマイケルに会ったんだよね?」「え、いや、あの、その」とか笑って誤魔化した。ここではとても否定も肯定もできん。
この日のライブも最高でした。
しかし離日がいっそう辛く・・・。

87年はまさにsweetな思い出だったが、この時は何とも複雑でbitter&sweetな思い出となりました。神に近いような敬愛の念を抱いてもいたあのマイケルがウソとかつくこともあるっていうのは。まあショービズに居るんだから、もうそれは無理からぬことなんだろうけれども。
それにしても、もう15年も前のおはなしだから時効ですもんね。

時効ついでに言うと、年が明けて、さるAwardでマイケルは私の書いた手紙の一部をスピーチの中で喋ってくれるというサービスをしてくれました。これも違う意味で脳天にきました。心臓にきました。
涙が出て止まりませんでした。心が伝わった。
ああ、でもほろ苦いような思い出なのだ。
<おわり>