7月7日追悼式

昨夕帰国しました。

セレモニーの様子はテレビ放送されたのでみんなテレビで見られたと思います。
私ももう一度見たいような見たくないような複雑な気持ちです。

それでも本当に愛に満ちた感動的な追悼式となりました。
マイケルが舞台の真ん中に足をブラブラさせながら座っていて笑っているのが何度か見えた気がしました。
みんなが彼を愛している。これからもずっと。
あの瞬間は心が慰められた気がしました。

前日までこの一大イベントの詳細が分からず、マイケルは来ない上にジャクソン家の誰も来ないような噂があったので本当に困惑しました。

ここまで来たのは葬儀に参列するためだと言うのももっともだし、オークションで高騰を極めているチケットを目の前で手が出せる金額で差し出されればそりゃあ考えてしまいますよね。
ただお仲間全員分のチケットが提示されることもなく私は身を引くつもりになりました。
参加自体に迷いがあったから積極的に出ても自分がこれ以上に傷つくかもしれないとも思いました。
その前日にネバーランドまで行って、その周辺が完全にお祭り騒ぎとなっていて、傷ついた心が回復していなかった上にステープルセンター前も一大イベントを前にプロモーターによるプロモーション活動をしているか如くに沸いていて、心はへし折られていました。

そうだエンシノに行きたい。
エンシノだけに何か救いがある気がして翌日が帰国便の私だけが孤独にその考えにとりつかれたようでした。

それでも何とかエンシノに向かったのは夜の8時を過ぎていたのですが、やっぱり人が群れていて何度も出入りする車両に向かって騒いだりしていました。

私はその前に来たとき、この3日前ですね、には色とりどりのバラの花を手向けて、マイケルへのメッセージを置いてきたのですがもうそれも次から次へと寄せられるバナーやカード、花々に埋もれていました。
ジャクソン家宛ボックスがありそこに手紙もジャクソン家のみなさん宛への手紙を入れました。彼がどれほどの存在だったか、これがどれほど信じたくない出来事なのか、どれほど自分の血の中にこの人の存在が染み込んでいるのか、どのくらい家族の傷みを共感しているのか知っておいてほしかったからです。

今度は私も白い花束を手向けました。最初に来たときには無理だった白い花束。

あとはただただ泣くしかなく、みんな疲れきっていくばかりなので帰りのタクシーを呼びました。

それが、こういうのを弱り目にたたり目というんだろうかと思ったのですが、呼んだタクシーが来ないのです。
10時半、11時半、もう日付が変わりそうです。
仕方がないので周辺を警備しているポリスに助けを求め、再度呼んで貰うことに。
やっと来たタクシーに乗って出発する寸前に不思議なことが起こりました。
明日のチケットが余ってしまったという女性が夜の闇の中から突然に現れて声を掛けてきました。
ちょうど3枚のチケットがあったのです。
(掲載は不適切という声があったので一部削除しました)

何だか私は彼女が天使に見えました。
行きなさい、ということなんだなと思ったのです。

そして当日は泣くための座席のような個室付きの部屋でただただ号泣。

いまはただ淋しさがつのり、辛いので、ブログを書いてみました。
いつまでも暗くてすみません。