アンドリューロイドウェバーの傑作ロックオペラミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」

このミュージカルでは、確か1970年代が最初に上演され、その時は、内容を聞いたキリスト教徒が怒って、デモを行ったり、劇場に火をつけたりしたとかいう話です。
なぜかっていうと、イエス・キリストを人間として描いているからなんですね。
これは、信者にとって衝撃的なのです。

また、物語は、キリストを売り渡したユダが中心に描かれてもいて、忠告し、苦悩し、裏切り、自殺するまでの姿も描かれています。

ユダはジーザス(イエス)を愛するが故に、人々に崇められ、それを受け入れ、喜んでいるジーザスを受け入れられない、「少し懲らしめが必要」位な思いで、敵にジーザスを売り渡してしまいます。
ジーザスが人であることが許せなかったのです。
鞭打たれ傷付けられるジーザスを見て、助けを請うのですが・・・。

ここには人のひとつの真実があります。
胸に迫る痛みがあります。

god **** 神 **** by Michael Jackson from "dancing the dream"


妙なもので、神は世界のあらゆる宗教の中で彼・彼女自身をどう表現するかを気にしていない、という中にあって人々は未だに自分の考え方が唯一正しいという考えにしがみついている

神について何を言おうとしても、誰かが感情を害してしまうだろう。
たとえ全ての人の神の愛が彼らにとって正しいと言ったとしてもだ。

僕にとっては神の形が最も重要な事ではない。一番重要なこととは本質なんだ。僕の歌やダンスは神がそこに入って満たしてくれる為のアウトラインだ。
僕はその形なる作品を差し出す、すると神はそれに甘美さを注入してくれる。

夜、空を見上げていたら星がものすごく親しく近づいてきたのを見たことがある。
それはまるで祖母が僕の為に作ってくれたみたいだった。
「なんてリッチなんだ。なんて贅沢なんだ。」と僕は思った。
その瞬間、僕は神の創造したものの中に神を見ていた。
僕はたやすく神を見てきた。
虹の美しさの中に。牧草地を跳ねる鹿の優美さに。ファーザーのキスの真実の中に。

けれど、僕にとって最も優しく神とコンタクトを取るのには神に形はない。
僕は目を閉じて心の内部を見つめる。
そして深く柔らかい静けさの中に入る。
神の創造の無限が僕を抱くのだ。
僕と神は一つになるのだ。

彼は、でも人なんだ。
人だからこそ。