デンジャラスツアーin 1992

勢いのあるうちにと言ってはなんですが今度は15年前の話です。
マイケルが(ソロツアーとして)3回目に来日した12月、私はとある証券会社でバブル最終章の恩恵に与る外国株式部で忙しく働いていました。
あの頃も私の人生の中ではかなりいい時で周囲の人にも恵まれていたし、マイケルジャクソンのファンだという事も理解してくれている友人が会社にいたりして楽しい日々だったなと思います。

それにバッドツアーではチケット取りに苦戦し、87年には行けない日さえありましたが、このデンジャラスツアーでは電話予約で1分も経たないうちにつながり、奇跡的に全公演全席最前列を取ることが出来たので、もう我が世の春という気分で最高の気分でマイケルの来日を待っていました。
またマイケルに会える!

丁度マイケルの定宿のキャピトル東急ホテルでマイケル滞在時に会社の全社パーティがあるという嬉しい偶然も重なり、私もこの時は「必死」という状態から脱していたので、何となく安心した気分で過ごしていました。88年にちょっと気持ち入り過ぎてナーバスになって失敗したのでそんな状態を繰り返したくなかったのかもしれません。

毎晩ホテルに寄ってはいましたが出待ち入り待ちもほどほどにして行き先々についていく事も無く、ホテルに行ってスタッフに手紙を託す位で、マイケルが出かけた日と偶然同じ日に家族とディズニーランドに行っていたりするマヌケ振りでしたがとにかく毎回のライブが楽しく素晴らしかったので満足していました。

ところが年末で会社の仕事納めが終わると、いきなり焦る気持ちが芽生えてきました(一つのことしか出来ないのでひたすら仕事をしていたらしい)。
何となく漠然とまたマイケルにちゃんと会えるに違いない、などと呑気に思っていたけれど、これじゃあ一生マイケルに会えないというのを実感するに至り、ここは長年の側近であるビルブレイさんに頼むしかない!という結論に達しました。(当時の私には他の誰かは見当たらなかったんですね)

で、とにかくやっぱり私には「書くこと」しかなくて、家に帰り猛烈に書き出しました。ビルさんに短い手紙を書き、マイケルにはこの4年間に溜めてきた伝えたいことを一冊の本状態にして書き綴ることに(多すぎて必然的にそう)なりました。
書くのに掛かった時間はだいたい24時間ほどだったと思います。

で、次の日レストラン「オリガミ」にいるビルさんにお手紙とマイケルに渡してくださいとBookを渡しました。ビルさんは快く受け取ってくれました。
ビルさんがエレベータで10階に上がっていったのを確かめると何だかもうそれだけで達成感でいっぱいになりロビーで友人と脱力してソファーに座っていました。すると、そこへディズニーランドの案内人のような日本人の若い女の人が「先ほどビルブレイさんにお手紙渡された方ですか」と聞くので「は?はい」と応えると、
彼女、甲高い声になり「マイケルジャクソンさんがあなたのお手紙に大変感動されたということで」(え!)
「明日のコンサートのバックステージにご招待したいと言われています」(え〜!)
「ホントウですか」私はわなわな震えがくるのを抑えながら、冷静に、冷静に、と事務的に集合場所などを聞いたりして受け答えをしていましたが、そうだ、他の子たち(当時の友人2名)も何とか一緒に会わせて貰わないとと考えていました。あまりにも非現実的でまだ実感は湧いてこなかったのです。
そうして・・・<続く