マイケルの「遺産」、マイケルジャクソンのDNA

マイケルと同じ時代に生きてマイケルと交流することも出来たことは素晴らしいことだと思うし、多分あと10年も経てば辛いことも乗り越えて有難味が増していくんだろうと思います。

でも、ある種、今からファンになった人、今からマイケルのあれこれを知って行く人、今からマイケルの(彼らにとって)新たな映像や作品の発見と鑑賞が出来る人たちも羨ましいような気がしています。

これからだってマイケルに出会える。
彼の作品の中こそマイケルの魂に出会える場所ですから。
辛い悲しく地団太踏むような出来事に出くわさないでただただ作品を味わう、そんな事が出来るんじゃないかと。

先日、タワーレコード渋谷店でのちょっと地味なイベント「名演説で学ぶアメリカの文化と社会-TOWER BOOKS編」に行ってきました。
このCD付きの本の販促イベントになるんでしょうが、マイケル・ジャクソンの感動的な名演説(in オックスフォード大学(UK)2001) 、「Love is the Human Family's Most Precious Legacy」(愛は人間の家族のいちばん尊い遺産です)の解説も他の(オバマ大統領やBスプリングスティーン、マドンナ)人の演説と併せて解説をしてくれるというので、殆ど誰か(同じ気持の人たちのお仲間)に会うということで気を紛らわすために出かけて行きました。

マイケル関係者、ファンの外側にいる有識者のお話というのは新鮮なものがありました。
私たちファンはもちろん感動せずにはいられないマイケルのスピーチは”外側の人”にも感動を与えるのだなと思うととても嬉しいし、この解説をしてくれた金子靖先生が「マイケルを誤解していました」とはっきり言ってくれたことは救われる思いがしました。
「マイケルは、言っていることが全然ブレないんですね。1993年のグラミー賞の時にも言っていることをこのオックスフォードでの演説でも言っていますし、ウイアーザワールドでも同じ考えだからああいうことを行ってきたんでしょうね」と。

それに、30分以上のスピーチをスクリプトなしに行えるというのは相当なレベルな人でないと無理、(オバマさんなんかでも演説の台本を書く人がいるわけで)一人称でここまで人に感動を与えるというのは素晴らしいと。

マイケルは本当に子供のころ辛かったんでしょうね。だから子供たちのことが心配でならない。だから子供たちと一緒にいることで子供時代の埋め合わせをせずにいられない。
私もいい子供時代を過ごしたわけでないし愛情いっぱいに育てられたわけでないけれどくる日もくる日も厳しく仕事と練習をさせられたわけでないので、この部分は想像を絶するものがありますね。

それでも私のようなマイケル・ジョー・ジャクソンに魅せられた者は、(こんなことを聞いた人は変に思うでしょうけど)日々、何年も何年もマイケルを見て聴いて読んで、マイケルが好きだというものを探し出しては見たり聴いたり読んだり、日々マイケルの"DNA"を自分の中に注入し続けているようなもので、どこからどこまでがオリジナルな自分なのか分からないほどになってしまっているように思います。
そしてやっぱりこれは私だけに起こっている現象ではなくて他にも、ああこの人マイケルのDNA受け継いでいるなと思ったりするんですよね。
それとも単なるマイケルにreflectされている存在なのかもしれない。ちょっと前から小泉チルドレンなどと言ったり、〜の流れを汲むという意味で、〜のDNAという使い方がされるようになってきましたが、まさに私たちはマイケルチルドレン(実際にはブラザーorシスターの方が適切かな)なんでしょうね。

1987年にマイケルが来日した時には私は充分にマイケルチルドレンの域に入っていました。
離日前日にマイケルに面会することが出来たのは奇跡でしたが、今考えると私の渡した手紙を喜んでくれて翌朝、車の中から身を乗り出して思いっきり指を指してくれたのは、ある意味、不思議じゃないことだったかもしれません。
その時の手紙の中で私は世間の人々はあなたのことを子供っぽいだの、幼稚なものが好きなのがおかしいとか言うけれど、私は、子供っぽいのと子供のように無邪気というのは違うし、そのことが分かっています。聖書にも「子供のようにあれ、それは子供っぽくなれということとは違う」と書いてありますよね。私にはあなたが優しく、心が傷ついているから可愛いらしもの美しいものに魅かれるというのがよく分かります、などと書いていた。これはマイケルのreflectだったのかもしれません。

1992年12月に渡した手紙も迷惑なくらいに長文でしたが、この手紙にマイケルは感激してバックステージとコンサートに招待すると(もちろん全公演チケット取得済でしたが)言ってくれたそうで、死ぬかと思うほど喜びましたが、これもマイケルのreflectじゃないかなと今そう思います。

この手紙の中では私は、その少し前に見たマザーテレサのドキュメンタリーをテレビで見て、感動したことを書いた部分があります。マザーテレサはスピーチか何かの中の言葉で、「人々は餓えているんです、それは貧困で孤児の子供たちだけじゃない、豊かな国の中にも愛に餓えている人がいます。だから私はここに来ました」と。私は涙が出ました、なぜなら私も少しばかり愛に餓えていたからです。
聖書にもあるように愛がなければ一切は虚しい。愛は神でありすべてを超えるものです。愛することは難しいというけれど愛に長けた人がいる、それも一種の天才です。あなたはそういう人ですね。人々は愛すること愛されることに餓えていて、それであなたのもとに集まってくるんです。あなたが「I LOVE YOU ALL」という時、本当に真からそう言っているのが分かります。

他にもいろいろ書いたんですが、まあ究極なラブレターであることは確かだし、ここがマイケルの気に入ったところかなと思うのは、このあと1993年1月のアメリカンミュージックアワードでほぼこれと同じ意味合いの言葉をマイケルが喋ったところがあることによるのですけれど。
それが、これ。(画質が何故か悪いんですけども)

このあとも私が書いた言葉と同じ言葉をマイケルが使っていたりして、マイケルと私は本当に気が合うとか勘違いしてしまうような幾つかの類似、酷似があったりしたことがあるんですが、まあ考えてみれば当たり前のことで、何と言っても私たちはMJのDNAを汲むマイケルチルドレンですからね。

オックスフォードのスピーチはこちらのyoutubeで。(テキスト付きがあるよとお友達に教えて貰いました)※これは4/4の最後の部分です。

マイケルがいつも伝えようとしてきたのは子供たちに、すべての人に、愛こそが何より大切ということ。このことこそが楽曲や作品を含めてマイケルが私たちに遺した遺産だと思います。そしてこれからもマイケルチルドレンは増え続けていくんじゃないでしょうか。
(分かりにくいので少し追記しました)